私は埼玉県庁で24年間公務員として働いてきました。県庁では常に、無駄をなくす、効率化・適正化を念頭に仕事をしてきました。
その一方で、ホームレス支援のボランティアや学童保育の父母会活動では、社会保障(人々の生活への支援)が足りていない、お金がないからと必要なサービスが削られている(実現されていない)ことを痛感しました。効率化・適正化を極めた結果、必要なところにも支援が届かない状態でした。
予算を削ろうにももう削るところがない、公務員はどんどん減らされて疲弊していく。だけどやるべきことはたくさんある。そんな状況で出会ったのが慶應義塾大学の井手英策が提唱している『普遍主義』でした。人々が生きていく上で必要なものは所得制限を設けずに無償で提供する。必要な財源は税で調達する。王道のはずなのに誰もできていません。
県職員として実践したいと思い試行錯誤しましたが、公務員では限界がありました。私の家族や仲間にとって大切な北本市で、市民を守るために普遍主義を実現したい。そう思ったのが、政治家になろうと思ったきっかけです。
普遍主義とは、対象者を選別せずに、人々が生きていく上で最低限必要な行政サービス=ベーシックニーズを提供しようという考え方です。所得制限をせず、現物で給付する。その財源は税で賄うのが基本です。
増税すればもっと生活が苦しくなると思うかもしれません。しかし、現状では将来の不安に備え、自分で貯蓄をしなければなりません。生きていくうえで必要なベーシックニーズが無償で提供されれば、個人で貯蓄する必要がなくなります。
所得税や住民税を中心に増税すれば、低所得者の税負担はあまり増えません。無償化で支出が減れば、可処分所得が増えます。子ども分野だけでなく、高齢化の備えとしての介護や医療、現役世代への支援として住宅手当などの充実も必要です。
不安やリスクに個人で対応するのではなく社会全体で対応する。目指すのは貯蓄ゼロでも不安ゼロの社会です。
新採用から5年間は県立大宮中央高校(通信制)で事務をしていました。その後、教育局財務課を経て、財政課に配属になりました。県庁の中で精鋭の集まる財政課でも高く評価していただいていましたが、家族と話し合い早期の昇進よりも子育てを優先し、自宅から近い上尾県税事務所への異動を希望しました。その後主査級試験に合格し、上尾市役所に出向になりました(納税課主幹)。2年間の出向の後、県庁に戻り、環境部資源循環推進課、税務課、最後は春日部県税事務所(納税担当主幹)で勤務し、平成31年3月31日に退職しました。財務・税務の経験が大半を占めます。
財務課では、高等学校奨学金の条例を制定しました。財政課では、予算編成システムの導入に力を注ぎました。資源循環推進課時代には食品ロスの削減の取組からフードバンク活動に出会い、貧困問題を調べるようになりました。この頃からボランティア活動(上野公園での炊き出しや川口駅前や大宮公園の夜回りなど)にも出かけるようになりました。税務課時代、時間外に有志が集まって勉強する自主勉強会を立ち上げ、慶應義塾大学の井手英策教授や中央大学の宮本太郎教授を招き、我が国における社会保障の脆弱性の問題を税財政を絡めて学びました(写真参照)。この時に学んだことを実現するために、県職員を辞めて市議会議員になったと言っても過言ではありません。
平成7.4~ 埼玉県立大宮中央高校(通信制の課程)事務室
平成12.4~ 教育局財務課
平成14.4~ 総務部財政課
平成18.4~ 上尾県税事務所納税担当
平成22.4~ 上尾市納税課(主査級昇進・出向)
平成24.4~ 環境部資源循環推進課
平成27.4~ 総務部税務課
平成29.4~ 春日部県税事務所納税担当(主幹級昇進)
平成31.3 退職
一番は、市民の命と暮らしを守ることです。これが最優先です。
初出馬の時から「安心をすべての人に届けたい」というスローガンを掲げています。県職員の時には、全ての県民を幸せにすることを判断基準に仕事をしていましたが、今は安心して生きることすら難しい時代です。まずは命と暮らしを守ることを大切にしています。
そのために、まずは福祉の充実です。我が国では、子どもや高齢者、障がい者の世話を家族がやることが当たり前でした。その負担は特に女性に押しつけられてきました。夫は正社員で手厚い福利厚生、妻は専業主婦という標準的な家庭のモデルが崩れ、男女ともに非正規労働者が増え、共働きが当たり前になった今、家族だけでの育児、介護が難しいのは当然です。無理があるからストレスが溜まり、虐待や自殺にもつながります。ケアの社会化を進めなければいけません。
また、子どもや子育てへの支援も強化したいと思います。私には3人の娘がいますが、3人とも子どもを産むということにネガティブです。親の姿を見ながら、子どもを育てることの大変さを実感しているのかもしれませんし、自分たちが子ども時代を生きてきて、良かったな、楽しかったなと思うことが少なかったのかもしれません。子どもが子どもらしく生きられる。子どもを育てることの経済的・精神的な負担が少ない。学校でも家庭でも大人の価値観を押し付けられない、自主性・主体性が尊重される。そういう社会にしていかなければ、少子化は解消されないのではないと考えます。
最後になりますが、議員にとって最も大事な仕事は、市民の代表としての市政のチェックです。市政や市議会のことをつぶさに伝えること、市民の皆様の声を聴き市に届けること、市長から提案された議案や市政全般に目を光らせチェックすること。これらのことは市議会議員の最低限の仕事として、誰よりもしっかりと取り組んでいます。このことは私のホームページをご覧いただければわかっていただけると思います。
私が重視しているのは市民生活です。市民の皆様が不安なく、幸せに暮らせる街にしたいと思っています。
そのためには、福祉の充実が重要です。大きな制度設計を行うのは国ですが、市民の皆様に一番近いところで、市民の暮らしや命を守るのは基礎自治体である市町村です。
私にとっては、北本市というフィールドを対象に政治を行うことが、自分の考え方ややりたいことに適しており、県議会議員や国会議員になりたいと思ったことはありません。
市議会議員は一人でできることが少なく、条例の制定など、議会で過半数の賛成が得られなければ政策を実現することができません。また、少ない政務活動費では秘書を雇うこともできず、事務局職員の人数も十分ではありません。できることに限度があります。
一方、市長は強大な権限を持っています。予算を編成できるのは市長だけです。予算と人事を掌り、多くの施策を実現することができます。
そうは言っても、なりたいと言って簡単になれるものではありませんので、多くの市民の方から「市長になってほしい」と言ってもらえるように頑張りたいと思います。
日本全体で人口は減少します。これは歴然とした事実です。そうした中で人口を維持又は増加させる=転入者を呼び込むために補助金などを出すことには反対です。補助金による自治体間での住民の奪い合いは、際限のないチキンレースです。それよりも、今北本市が進めているシティプロモーションを着実に実施して「北本市は素晴らしい」と思って選択してくれる人を増やすことが理想です。
人口減少が進んでいる最大の要因は死亡者の増加です。これは止められません。北本市としてやるべきことは転入者を増やすことと、転出者を減らすことです。転入者が増えれば、自然と出生数も増えます(居住環境を変える大きなタイミングが結婚や出産、入学です)。
そのためには、子どもや子育て支援、教育を充実させることです。また、高齢者や障がい者にとっても住み良いまちにすることも重要です。いま北本に住んでいる市民が「暮らしやすい」と思えるまちにすることが、結果として転入者を増やし、転出者を減らすことになると思います。→「11.北本市をどうやって発展させますか?」もお読みください。
今までの経過を全てなかったことにして建設候補地を決めることができるのであれば、郷地安養寺ではない別の場所の方が良いということになるかもしれません。
これまでの手続きに全く問題がなかったとは言いませんが、建設予定地を2市1町の首長で決定しており、この決定を覆すことのデメリットが大きいのも事実です。
経済的に見ても水害の被害想定という観点から見ても課題はありますが、他の場所で建設できる保証もなく、桶川市のように民間施設や他の自治体に処理を依頼することになった場合には、多くの処理費用を要することとなります。郷地安養寺が最適かどうかは疑問ですが、建設ができる場所という意味では適地です。
鴻巣市とは多くの事務で協力しており、強い関係性があります。この関係性が壊れると、様々な分野で影響に及びます。郷地安養寺でできるだけ安く建設できる方法を探すのが、現実的な選択だと思います。
まずはじめに、私はデーノタメ遺跡の国史跡化と西仲通線の迂回には賛成ですが、デーノタメ遺跡を遺跡公園として観光資源化することには反対です。間伐、下草刈り、遊歩道の整備など最小限の整備で十分です。
確かに道路は真っすぐの方が便利です。しかし、デーノタメ遺跡の主要部分を貫通させることで遺跡の国史跡化が難しくなります。遺跡を残したいというよりも、国史跡化することでトータルコストが安くなる(市民や地権者の財政負担が減る)という判断です。
西仲通線は、元々は高崎線の西側の中山道ということで計画されたものですが、その後そのさらに西側に上尾道路が整備されることになりました。西仲通線は仮に直進的に整備しても、南大通線より北はすでに住宅街になっており、今からここを道路にするのは現実的ではありません。
一方上尾道路は国が整備を進めており、令和5年度には市内の地権者への説明も始まります。鴻巣市区間ではすでに工事に着工しています。上尾道路の整備により相対的に西仲通線の重要度は低くなっており、 財政的に大きな負担を背負ってまで直進的に整備する必要はないと考えます。
迂回させずに、遺跡全体を国史跡化の上で史跡内に西仲通線を整備するか、西仲通線を除き史跡化し道路以外を公園化すればよいのではないですか?
確かに史跡内に道路が整備されている事例はあります。しかし、国史跡の指定を行うのは国の審議会です。高速道路のように迂回が難しいならばともかく、容易に迂回ができる(すでに迂回案を市民に示している)ところをあえて直進的に整備した場合、それでもなお国の審議会が国史跡として認めてくれる保障はありません。直進化が認められても、遺跡保護のために高架化することなどの対策を求められれば道路整備費が高額になります。
まず大原則として、文化財は保護するものというのが国の方針です。やむを得ず開発する場合には記録保存が必要となります。記録保存をするためには発掘調査を行い、これを報告書としてまとめることになります。
デーノタメ遺跡を開発(宅地等として利用)するための記録保存には、20.7億円かかるという試算が出ています。財源の88%が市の負担です。一方でこれを遺跡として残す場合には用地取得などに28億円掛かると試算されていますが、市の負担は5億5千万円です。市の負担だけでなく、区画整理事業の減歩率も26.25%から22.20%になり、地権者の負担が軽減されます。遺跡を国史跡として保存することで、地権者、市民双方の財政的負担が軽減されます。
なお、遺跡に復元住居やガイダンス施設を造って観光資源にしたいというのが市長の意向ですが、私はそれには反対です。観光資源としてあまり有望とは思えません。できるだけ自然の状態で残す方がコストも少なくすみ、遺跡を傷めないことにもつながります。
新駅設置を推進する議員は、駅を設置すれば人口が増えると言います。吉川美南駅や福岡県の新宮中央駅などを例に挙げていますが、これらは大規模な宅地開発に伴って設置された新駅です。宅地開発が伴わなければ、人口増加にはつながらないことは明白です。
当初、新駅の候補地として考えられていた場所は、大きな倉庫が建設されました。これから宅地整備ができる余地があるのは、圏央道の南側、桶川市との境界にある広大な工場地帯です。この場所に宅地開発できる可能性があるならば、その際には新駅建設を検討すべきと思いますが、現時点ではそのような可能性はなく、新駅建設は現実的とは言えません。
都市基盤整備という観点から見たときに、北本市の大きな課題は「狭い市街化区域」です。(参考「北本市都市計画図」)
全国的に人口が減少していく中で、市街化区域を拡大させる方法はあまりありません。数少ない方法として、区画整理事業により面整備を行い、市街化区域に編入させる方法があります。特に、上尾道路ができれば、その沿線には商業施設や倉庫の需要がうまれるはずです。現に桶川市では圏央道北本桶川IC周辺において企業用地を生み出す区画整理事業を行う計画があります(下図参照)。区画整理を行わなければ上尾道路沿道に整備できる施設はかなり限定されてしまいます。
本市において同じように区画整理事業を行おうとする場合に課題となるのは、いわゆる旧暫定逆線引き区域と呼ばれる、市街化区域内にある調整区域です(下図で色のついた範囲内で白抜きになっている部分)。上尾道路沿線など市街化調整区域で区画整理事業を実施し市街化区域に編入させるためには、この旧暫定逆線引き区域を市街化区域に編入させることが優先というのが都市計画を所管する埼玉県の見解です。旧暫定逆線引き区域では現在も農業が行われているため、まずは地権者の理解を得る必要があります。
市は久保特定土地区画整理が終わらないと他の事業を始めるのは困難と言っていますが、地権者の理解を得るのにも相当な時間が掛かるはずです。地権者の意向を聴きながら調整を図りつつ、埼玉県に対しては上尾道路周辺での区画整理も認めるよう働きかける必要があると思います。