北本市で31年度からコミュニティ・スクールを導入 目的と課題を整理

コミュニティ・スクールとは…

北本市の平成31年度当初予算案の中に、新規事業として、コミュニティ・スクール事業(予算額8万円)が計上されています。コミュニティ・スクールとはどんなものなのでしょうか?

大嶋達巳議員が総括質疑でコミュニティ・スクールについて質問をしました。教育部長の答弁は次のようなものでした。

  • 地域とともにある学校づくりを目指す事業である。
  • 子ども達を取り巻く環境や学校が抱える課題が複雑化、多様化している。
  • 学校と地域の連携・協働の重要性が指摘されている。
  • 県内のコミュニティ・スクールの設置率は26.5%。近隣で実施している自治体は少ない。
  • 現在学校の教育活動の中では、体験活動の充実など新たな教育内容が求められているが、教職員がそれらの全てに対応することは困難な状況。
  • 学校教育上の課題を学校運営協議会で保護者・地域と共有することにより、学校と地域住民等が力を合わせて学校の運営に取り組み、課題を解決し、同時に学校運営に地域の声を積極的に活かし、地域と一体になった学校づくりを行う。
  • 市内すべての小中学校に学校運営協議会を設置することを考えているが、平成31年度は1小学校をモデル校として実施する。

中教審の答申によるコミュニティ・スクールの意義

当然ですが短い答弁の内容だけではコミュニティ・スクールについて十分な理解が得られませんので、国がコミュニティ・スクールを推し進める根拠となっているH27.12.21の中央教育審議会の答申『新しい時代の教育や地方創生の実現に向けた学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策について(答申)』を読んでみました。

一言で粗っぽくまとめると、コミュニティ・スクールの意義は、学校が抱える課題が複雑化・困難化している中、家庭や地域社会の教育力が低下し、教育の役割が学校に偏りすぎていることから、改めて地域と学校が一体になって子供たちを育てていこう、というものです。

では、家庭や地域社会の教育力が低下しているというのは、どういうことでしょうか。答申では「世論調査結果では、国や社会のことに目を向けるよりも、個人生活の充実など個人個人の利益を大切にする傾向にあり、互助・共助の意識も希薄なことから、貴重な学びや成長の機会・場が失われ、地域社会の停滞につながる一因になっている」(3頁)としています。

1億総活躍が謳われ、高齢者も女性も働ける人はみんな働くように方向付けられている上に、社会保障は自助が基本(所得を得て、貯蓄をして、自分でリスクに備える)とされている我が国において、個人よりも国や社会に目を向けなさいというのは無理があるように思います。

また答申では「我が国の教員は、課外活動の指導や事務作業に多くの時間を費やし、OECDの調査国中で勤務時間も最も長く、教員の勤務負担の軽減が課題となっている」(4頁)としていますが、それであれば、課外活動の指導や事務作業を減らすか、そのための人を増やすべきであり、日々の生活や仕事で精一杯の地域住民を参画させても改善できないと思います。

自治会の役員や民生委員、消防団の担い手が不足し、地域福祉でも住民同士の支え合いが求められている現状で、さらに地域の力を学校にと言われても、一体どこに担い手がいるのでしょうか?

地域住民にできること、協力を得るために必要なこと

とはいえ、多様な大人が子育てに関わることが子どもの成長に役立つことは、確かだと思います。

「地域社会を構成する一人一人が当事者としての役割と責任を自覚し、主体的・自主的に子供たちの学びに関わり、支えていく中で、地域住民の学びを起点に地域の教育力を向上させるとともに、ふるさとに根付く子供たちを育て、地域の振興・創生につなげる」(答申8頁)

などと壮大な目的を掲げるのではなく、もっと気軽に関われるような形が望ましいと思います。

「これからの子供たちには、厳しい挑戦の時代を乗り越え、高い志や意欲を持つ自立した人間として、他者と協働しながら未来を創り出し、課題を解決する力が求められている。」(8頁)

それは確かに理想かもしれませんが、容易ではありません。何より、校長や学校が「育てたい子供像」を規定するべきではないと思います。型にはめることで無限の可能性を限定してしまう恐れがありますし、そのようになれなかった子どもは、自分は期待外れだと感じ、自己肯定感を失ってしまう危険性もあります。

地域住民の知識や経験を学校教育に活かすのだとしたら、校長の方針にお墨付きを与えるとか、校長が育てたいと思う子供になるように手伝うという観点ではなく、親でも先生でもない第三の大人として子どもの相談に乗ってあげたり、自分の経験談を話してあげたりするだけで良いのではないかと思います。

国や社会が望ましい(扱いやすい)大人に育てようとするのではなく、子どもたちに多様な大人の生き方を見せることで、自分に合った生き方を見つけられるようにする。子ども自身の主体的な選択による成長を大人が支える。特に、現場における共通認識としては、それで十分だと思います。

この答申の理念が正論だったとしても、楽しくなければ持続できないでしょう。校長や教員のためではなく、子どもたちのためでなければ地域住民の協力も得られません。

コミュニティ・スクールの導入に当たっては、学校側がうまく噛み砕いて地域住民に協力を求めなければ、せっかくの仕組みも有効に機能しないのではないかと思います。