能登半島地震災害ボランティア参加報告(2回目)

2024年8月10日(土)から12日(月祝)の日程で能登半島地震災害ボランティアに参加してきましたので報告します。

経緯

前回は5月に石川県で募集しているボラバス型(金沢駅発着のボランティア専用バスを利用)に参加しましたが、交通費や宿泊費が嵩むのと移動時間が長く活動時間が短いことから、別の形の参加を検討していたところ、ReVA(リーヴァ・復興ボランティアチーム上尾)の市川さんからお誘いをいただき、北本市社会福祉協議会が毎年開催している災害ボランティア研修参加者にもお声掛けをして、ReVAのメンバーと北本市の有志5人で参加することになりました。

ReVAは東日本大震災以降、全国各地で発生した災害の復興支援ボランティアに参加しているチームで、能登半島地震においては七尾市の『広域支援ベースにしぎし』(旧西岸小学校)を拠点として活動している災害NGO結(ゆい)の復興支援活動に月2回程度(1回3日程度)参加しています。今回はReVAの活動に、北本の災害ボランティア研修受講者の実践研修として相乗りさせていただきました。

なお、この活動には、政務活動費は使っていません。

日程

8月9日(金) 21時に車2台で北本を出発、現地まで約6時間
8月10日(土) 終日活動
8月11日(日) 終日活動
8月12日(月祝) 午前中のみ活動、23時に北本に到着

活動内容

1日目 ブロック塀の撤去【輪島市】

1日目は輪島市役所近くで、住宅の三方を囲む傾いたブロック塀を撤去する作業でした。このブロック塀には縦横に鉄筋が入っていたのと、表面にコンクリートで化粧塗がされていたため、大変固く、撤去作業は難航しました。電動ハンマーで目地を砕き、鉄筋を電動カッターで切断した上で、大きなハンマーで叩き割ります。壊したブロックは、大きなものは積み上げて、細かく砕かれたものは土のう袋に入れて、敷地内に仮置きしました。10時から作業を開始し、途中1時間程の昼休憩と適宜休憩をはさみながら、16時半まで作業しましたが、3面のうち2面までしか終わりませんでした。

初日の大きな反省点

作業の中心となったのは電動工具の扱いに長けたReVAのメンバーでしたが、結果として一番大変な作業を長時間特定の人に任せることとなってしまったことは、大きな反省点でした。また午前中から頑張っていた高校生が午後になって動きが止まっていることに気付き「疲れてしまったかな」と思っていたのですが、後になって思えば熱中症なりかけていたのではないかと思います。炎天下での重労働だったので、特に注意する必要がありました。きちんと休憩を取りながら、役割を交替し、お互いの体調を気にかけつつやらなければいけなかったと反省しました。

2日目① 避難所の薪風呂の解体【珠洲市】

2日目はReVAチームも2組に分かれて活動しました。私たちは3人で珠洲市飯塚地区SUZUZUKA(旧飯塚保育所)の避難所の撤去作業を担当しました。避難所を利用していた現地の方々と8時から作業を行うこととなっていたため、ミーティングには参加せず6時半にベースを出発しました。

8時に到着するとすでに40人程の住民の方々が来ており、すぐに作業に取り掛かることになりました。私たちは主に屋外に作られた仮設の薪風呂を解体し、廃材を軽トラに積み込む作業を行いました。住民の方の手際が良く予定よりも早く作業が終了しました。

作業終了後は、翌日の地域のお祭りのために展示の準備をしていた「キリコ」を見学しました。本来は30人位で担いで地域を周るそうですが、今は道路がガタガタで危険なため、展示だけだそうです。震災前と同じ形でお祭りができるようになることを願っています。

2日目② 民家の土壁の撤去【能登町】

珠洲市の作業が終了した後、能登町ボランティアセンターで脚立とてみを借り、能登町国光の次の現場に向かいました。ここではすでに「チーム福幸(ふっこう)」の皆さんが作業をしておりました。崩れかけた民家の土壁を綺麗に撤去する作業です。撤去した土壁は、竹(壁の芯材)と土(壁材)とに分け、土のう袋に入れて、建物の外に仮置きしました。お昼をはさみ2時間ほどの作業でした。

休憩時には住人の方からなめこのお吸い物や芋茎(ずいき:里芋のツル)の酢漬けをいただきましたが、とても美味しかったです。震災当時にお話しやその後の苦労についてもお話を聞くことができました。

2日目③ 丸太の運搬【能登町】

2日目最後の現場は、能登町宇出津港近くの工場。工場の建物に倒れてきた木を丸太状に切ったものをトラックに積み込み、少し離れた場所にある食事処(休業中)に運ぶ作業でした。工場裏手は日当たりが悪くぬかるんでおり、丸太の運び出しはかなりの重労働でしたが、すでに他のチームが作業を始めており、1時間ほどで作業は終了しました。

作業終了後、午前中に能登町ボランティアセンターで借りた脚立とてみを返却し、18時半頃ベースに戻りました。朝の出発からちょうど12時間が経過していました。

ヒヤリハット

トラック(平ボデー)から丸太をおろす際にサイドの扉が不意に倒れ、トラック横で作業していた人の頭部に当たってしまいました。ヘルメットをしており大事には至りませんでしたが、大変危険な瞬間でした。また、トラックの荷台を上げた際に荷台の後ろからだけでなく横からも丸太が落ちましたが、幸い人には当たりませんでした。どちらも一つ間違えば大けがにつながるもので、もっと慎重に作業をしなければならなかったと思います。

3日目 ブロック塀の撤去【輪島市】

最終日の割振りは輪島市でのブロック塀の撤去でした。最初聞いたときは初日の積み残し分かと思いましたが、別のお宅のブロック塀でした。1日目の現場は周囲が広い道路でしたが、この現場は隣家までの距離が近かったため、コンパネで養生するなど慎重に作業を行いました。1日目のブロック塀と違い化粧塗りがされておらず、鉄筋も細いものだったので、電動ハンマーで目地を壊すだけで簡単に撤去することができました。ベースを9時に出発、10時に作業を開始し、11時頃には終了しました。これで今回の活動は終了となりました。

被災地の復興状況

5月のボラバス型では輪島市で活動したので、通り道だった七尾市から穴水町、輪島市の被災状況(主要道路の沿道のみ)は把握していました。七尾市を過ぎたあたりから倒壊家屋が目立ち始め、輪島市に近づくにつれその割合が多くなり、輪島朝市は一面焼け野原のままでした。一方で仮設住宅(復興住宅)の整備が着々と進んでいることもわかりました。

輪島市までの状況は5月に行った時から見た目には大きな変化はありませんでしたが、仮設住宅(復興住宅)の数が増えていると感じました。また、倒壊住宅の多くは依然として手つかずの状態でした。輪島朝市の状況も当時と変わらず、ニュースなどでも取り上げられた輪島市街地の倒壊したビル(下の写真)もそのままでした。

また、今回は珠洲市や能登町の被災状況も確認することができました。特に珠洲市から能登町に向かう途中、鵜飼漁港辺り(別名「軍艦島」と言われる見附島の近く)の状況が酷く、大半の住宅が全壊し、今でもそのまま(ほぼ手つかず)の状況でした。

一見被害を受けていないように見えても、地盤が大きく動いた影響で家が傾いていたり、中に入ってみると壁が崩れていたりという住宅が多いと感じました。

能登湾に面した穴水から東の珠洲市・能登町、北の輪島市、西の輪島市門前に向かう道は通行可能ですが、地殻変動が大きかった能登半島北部の外周道路は依然として通行止めの箇所が多く残っており、復興が進んでいないことが想像できます。

地元の方から伺ったお話

準半壊認定でも自力で修繕したら自腹に

災害救助法が適用された場合に、災害により「準半壊」以上の被害を受けた住家について、屋根や床、壁、窓、台所・トイレなど日常生活に必要不可欠な最小限度の部分の応急的な修理を自治体が行うことで(自治体が業者に依頼し、修理費用を自治体が直接業者に支払う)、元の住家に引き続き住むことを目的としたものです【石川県ホームページから】。

しかし、できるだけ早くに修繕したいという思いから自分でホームセンターで必要な資材を買い出し、自力で修繕したところ、ルールに反するとして補助が認められなかったと、住民の方が困っていました。

ブロック塀の一部だけが公費解体対象に

玄関の向かって右側のブロック塀は大きく傾き公費解体の対象となったものの、向かって左側から家の側面のブロック塀は破損の度合いが小さく、公費解体対象となりませんでした。とはいえ、大きな揺れが来れば倒壊する恐れがあります。狭い通路に面しており危険であることに変わりはありません。専門的な工具がないと解体は難しく、ボランティアに依頼することとなりました。

ボランティアの活動が知られていない

今回活動で入った集落には同じように住人だけではどうにもできない状況があるにもかかわらず、どうしてよいか分からず、困っている家が他にもあると言っていました。ボランティアにお願いできるということを知らない人が多いということです。高齢者も多く、インターネットによる情報収集は困難です。支援主体が市役所・町役場ではないことも、周知が難しい要因でしょう。

広域支援ベースにしぎし

のと鉄道西岸駅近くの『広域支援ベースにしぎし』は、支援団体が七尾市から廃校を借りて活動拠点としている場所です。3階建ての校舎と体育館を使い、ミーティング、宿泊、食事などができる部屋があります。宿泊スペースとして、教室に段ボールベッドと段ボールの間仕切りがあり、男女別に割り当てられています。仮設の薪風呂や仮設トイレもあります。体育館は支援物資の置き場兼宿泊スペース(テント)となっています。私は3階の教室の段ボールベッドを利用しました。寝心地は悪くなかったのですが、熱気が下の階から上がって来ているのと、段ボールの間仕切りが風を遮り、寝苦しかったです。

なお、お風呂は1つしかないため、車で30分ほどのところにある和倉温泉総湯を利用しました。

能登半島広域支援ベースにしぎし ホームページ
https://nishigishibase.com/

朝のミーティング

ベースでは毎朝8時から30分間のミーティングがあります。その日から参加する人の自己紹介、前日の活動場所ごとの活動報告と共有、当日の活動の割振り確認、当日で活動を終了する人からの一言で終わります。8時にはすでに現場に向かっているチームもおり、移動中の車内からZoomで報告することもあります。電子黒板を活用し、短時間で効率的に情報共有ができる素晴らしい仕組みと感じました。

ヒッチハイクでやってくる若者

ボランティアにヒッチハイクでやってくる若者もいます。ベースには風呂、トイレ、段ボールベッド、食堂があるので、生きていく上で最低限必要なものが揃っています。今回一緒に活動した20代前半の男性は、フリーのカメラマンとホームページ製作をしているそうですが、ベースにはWi-Fi環境もあるので、カメラとパソコンがあれば仕事もできます。数日間のボランティアのつもりで参加して、そのまま長期滞在となる人もいるそうです。

奥能登の自然は雄大で風景は美しく、食事は美味しく、地元に人は温かい、とても素晴らしい地域です。何のしがらみも無ければ、ずっとここに居たいという気持ちも理解できます。

ボランティアに参加してください!

5月に続いて参加しましたが、依然として多くの住宅が被災したままでした。石川県が募集している災害ボランティアに参加している方も、こちらの広域支援ベースで活動している方も、リピーターがほとんどです。一人でも多くの方にボランティアに参加していただきたいと思います。被災地の状況を見たり、被災者のお話を聴くことで、大地震に備えてどんな準備をしておいたら良いのか知ることができると思います。時間的な余裕がある方は、ぜひボランティアに参加してみてください。

また、時間的な余裕がない方で、経済的に余裕のある方は寄附を、どちらも難しい場合は被災地の状況を気にかけていただければと思います。

令和6年(2024年)能登半島地震・石川県災害ボランティア情報
https://prefvc-ishikawa.jimdofree.com/